2005-03-17 第162回国会 参議院 法務委員会 第4号
○最高裁判所長官代理者(園尾隆司君) 新津簡易裁判所の管轄区域には、新津市、小須戸町のほかに、五泉市、中蒲原郡村松町、東蒲原郡三川村、上川村、津川町、鹿瀬町が含まれております。
○最高裁判所長官代理者(園尾隆司君) 新津簡易裁判所の管轄区域には、新津市、小須戸町のほかに、五泉市、中蒲原郡村松町、東蒲原郡三川村、上川村、津川町、鹿瀬町が含まれております。
○阿部参考人 私、今ほど御紹介いただきました新潟県中蒲原郡亀田町町長の阿部學雄と申します。 統治機構のあり方に関する調査小委員会ということで発言の機会をいただきましたことを非常に光栄に思っている次第でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 前もってお渡ししておりましたレジュメに従いまして、町の概要から申し述べさせていただきたいと思います。
さらに、御指摘の、北側に隣接いたします南蒲原郡田上町から中蒲原郡小須戸町間の延長七・八キロメートルの小須戸田上バイパスは、平成八年度から事業に着手しているところでございまして、今先生からお話がございましたように戦略プラン等も導入いたしまして、現在、用地買収、改良工事を進めてきているところでございます。
三市・中蒲原約二十万の人口の中で公立病院はこれ一つしかないわけでございまして、これに対しての存続の声が日増しに地元で高まっておるわけでありますが、この病院を新潟の西病院に統廃合するという方向で進められておりますが、地域医療を守るためにも、ぜひこの存続について再検討をお願いしたいということを一つ申し添えさせていただきまして、また、この御見解をお聞きしたいと思います。
それから現行の二区でございますけれども、二区につきましては先ほども申し上げましたように若干分割する必要があるわけでございますが、北から参りまして岩船郡、村上市、北蒲原郡、新発田市、豊栄市、東蒲原郡、五泉市を経まして中蒲原郡の村松町まで入れましたところ、人口が四十一万人ということになります。新しい三区でございますが、これで一つの選挙区をつくることとしてはどうかということでございます。
佐藤隆先生は、昭和二年十二月、新潟県中蒲原郡亀田町の旧家佐藤芳男氏の次男としてお生まれになりました。 御尊父は、戦中戦後を通じて衆議院議員、参議院議員として御活躍になり、また、伯父の佐藤與一氏も、昭和の初期に衆議院議員として務められ たのであります。このような家庭環境のもとで少年時代を先生は過ごされました。一先生は、旧制新潟中学に入学されましたが、折しも第二次大戦中でございました。
調査団一行は、被害の実情並びに陳情を聴取後、国道四十九号線を経て中蒲原郡村松町役場に到着、特別豪雪地帯の後進性打開のための切実な陳情を聴取したのでありますが、村松町では、周辺の津川、三川の両地区が二級地であるが、当町では一級地であるので、普通交付税の額の算定に当たり、寒冷の差による地域区分を是正をしていただきたい、とのことでありました。 さらに東蒲原郡津川町役場で津川町、鹿瀬町、上川村、三川村。
中蒲原郡横越村、北蒲原郡京ヶ瀬村地内横雲橋から河口に至る阿賀野川で、これは十四キロばかりでございます。この間の水産動植物は全部禁止いたしました。
特にあの地帯で、北蒲原、中蒲原の水が新井郷川に注いでまいります。きのうその報告の一端がありましたが、新井郷川に北蒲原、中蒲原の水が入ってまいりまして、その排除のためにいわゆる新井郷排水機が、これは東洋一と称せられる大きな排水機でございます。ところが、その地帯が、いわゆる先ほど申しましたゼロ地帯なんだ。
○杉山善太郎君 ついこの間ですが、五月二十六日の時点で、関係市町村である新潟市と、それから新潟県の中蒲原郡の横越村、それから北蒲原郡の豊栄村の理事者代表が打ちそろって厚生省、通産省、企画庁、科学技術庁、農林省、そういったような、いわゆる予測される関係の省庁に対して、とにかく困っておるから、早く原因の汚染源を糾明してはっきりしてくれ、それと、これに関連して、補償問題に対しても大所高所から配慮してもらいたいといったような
これによりますと、坂井七郎なる人物は、新潟県中蒲原郡亀田町大字亀田千四百五十四番地にありました。そこから三十六年四月二十日、五十嵐アパートへ住民票を移しております。住民登録を変えております。こういう人物であります。ちゃんと区役所に登録してありますから、これは間違いのないことでしょう。そこで、その坂井七郎というのはどういう人かというと、その写真と違う。この人が本物の坂井七郎であります。
新潟においても、新潟市から三条市に至る新津、中蒲原、南蒲原地帯の信濃川沿岸におけるナシ園、ブドウ園、桃の畑等は、ほとんど私は全滅している状態を見て参りました、ことにビニール・ハウスの壊滅は、これは全部と言ってさしつかえない。富山の呉羽の町に行ったときに百二十八棟あるビニール・ハウスがかろうじて使えるようなのが二棟になっていた。
中蒲原、北蒲原が承知するものじゃないんです。だから当時の様子を聞いてみますと、せつかくああやって知事が一生懸命やって、きまるかきまらないかわからないから、われわれが足を引っ張るようなことはいかぬといって、みんながまんしていた。と同時に、あの案がきまったとき、われわれしろうとでもわかりますよ。相当の金をかけて使うのはたった三カ月か四カ月、あとは使わないんですよ。
すなわち、 昭和二十七年初夏のころ中蒲原郡亀田町大字亀田六十一番地の一、林俊蔵なる者が小型三輪車をもって新潟−亀田間の路線事業類似行為をして道路運送法百二条によって処分をされるや不服として玉井弁護士を代理人として訴願を提起した。 これまで当該行政庁の行う処分に異議を申出たものがなかったので、この成り行きを一般が注目したものであった。 結果は理由なしとして却下された。
なお、以上の調査をもって第二班の調査を終了し、帰京した次第でありますが、次にわれわれが現地調査を行いました事業について簡単にこれを補足いたしますと、阿賀野川両岸の農業水利事業の計画についてでありますが、この事業の計画は、阿賀野川の両岸にまたがります新発田、新津、五泉の各市、及び北蒲原、中蒲原両郡の大部分を包含した新潟県の穀倉地帯約三万町歩の区域に対して用排水事業を行い、二十一万五千石の増産を期待しようとするものであります
ついに警察から中蒲原郡の小須戸町というところの自分の家へ帰らずに警察署の前の旅館に三日も休養をしなければ帰れないという、さような病人を三日にわたって調べておるという事実、このことは非常に大きな反響を及ぼしまして、その後における新潟地本の処罰に対する強い反対闘争が、こういうところに非常に強い刺激を受けて、強い闘争に進展した、こういうような過程の事実があるわけです。
調査を終りまして、今回の最終目的地であるところの中蒲原郡及び北蒲原郡下の被害状況調査のため新津市に向いました。たまたま両郡下の関係町村長、五泉市長、新津市長等が市の公会堂に参集せられ、対策を協議しておられましたので、ここにおいて被害状況の全般並びに要望事項等を詳細聴取いたした次第であります。
さらにもっと極端な例を申し上げますと、中蒲原郡の庄瀬村というところでは、総収量ですから供出量と保有量を足したものでありますが、二十八年、二十九年においてはほとんど差がないのであります。そういう数字であるにかかわらず、供出の代金は従って同じでございますにかかわらず、所得課税総額は二倍となり、所得税の税額は三倍半にはね上ったのであります。あるいは四倍にはね上った白根町の実例もあるのでございます。
これによりますと、中蒲原郡の白根町におきましては約四倍弱。というのは、その町で、二十八年の収量は七千九百八十五石でありますが、二十九年は八千二百四十二石、二百五十七石が現実増収になっておりますが、昨年のいわゆる税制の改正、さらに米価の決定に当りまして不都合なやり方をしたために、結果はどういう所得税になるかというと、二十八年度は百十七万二千円。これはこの町だけのことであります。
中蒲原郡の川内村という村があるのですが、ここには農業協同組合がないのです。